老人の説教(受動的努力と能動的努力)

ナンパの真実

どうも、マリスです。

今日は老人の説教みたいな能書きを垂れようと思う。

老人の説教が嫌いな人は読まないように。

で、本題だけど、
努力ってものには、
・受動的努力
・能動的努力
の2種類があると思っている。

受動的努力ってのは、
そのままだけど受動的な努力。
もっと分かりやすく言うと「耐える系」の努力ね。

この、受動的努力・「耐える系」の努力ってのは、多くの日本人がかなりできていると思う。

具体的には、満員電車に毎日耐えるとかってのは、受動的努力ができているって事。

満員電車に乗りたくて乗ってる人なんていないですよね。
あんなの誰だって乗りたくないし、乗っている人はストレスを抱えながら、それを我慢して乗っているわけです。

たまに乗るだけならまだしも、
週5回、行きと帰りで計10回、
1週間という短い期間の中で10回も満員電車という苦痛の空間に皆さん耐えている。

実はこれってかなりスゴイ事っちゃスゴイ事。

人間、苦痛な事ってのは本質的に嫌いなわけですよ。
にも関わらず、その苦痛を毎日毎日味わう事に耐える事ができている。

これ、実はかなりスゴイ事。

「乗りたくねーから乗らねー。会社なんて知らねー。」ってなるのが、
苦痛を避けようとする我々人間のナチュラルな行動・判断であるにも関わらず、
それを理性でねじ伏せて、
毎日毎日苦痛な環境に自ら行けているってのは実はかなりの努力ができていると言える。

で、その努力の種別としては、
受動的努力であると言える。

嫌なバイトを我慢してやっている人とか、
会社で上司にやりたくない事指示されて我慢してやっている人とか、
聞きたくもない愚痴を我慢して聞かされている人とか、
やりたくもない家族サービスをやらされている人とか、
沢山いると思うけど、
こういうのって、かなり努力できていると言っていい。

ただし、
その努力の種別としては、受動的努力ね。

で、こう見ていくとわかるんですけど、
我々って受動的努力ができるポテンシャルってかなり高いと思うのですね。

ようは、我慢する、耐える系の努力ってのは、
非常に沢山の人が、非常に高いレベルまでできているように思える。

拷問に耐える、みたいなマジでキツいやつの受動的努力レベルを100とした場合、
毎日毎日、満員電車やら嫌いな上司やら、やりたくもない会社の仕事やらに耐えている人ってのは、
80くらいの受動的努力ができていると思うのですね。

みんな、(特に日本人は)めちゃめちゃ受動的努力できているのんですよ。

みんな耐える系の事は超頑張っていて、毎日毎日色々な事に我慢しながら人生を送っている。

これは実はかなりスゴい事だと思うです。

しかし!!!!!!、
その一方で、
我々、いかに能動的努力ってものが出来ていない事か!!!!

毎日、会社から帰った後の疲れた状態で、
緊急性は別に無いし、今日やらないからといって明日困るとか来月困るっていう差し迫ったものは一切ないけれども、
やる事によって確実に将来的に自分の人生よくなるに決まっている勉強とか、
何かしらの活動するってのは、
これは能動的努力の部類になりますけど、

これを毎日できている人って日本にどれくらいいるんですかね?

まー、1%もいないでしょう。

毎日毎日、乗りたくもない満員電車にひたすら耐える、嫌いな上司の愚痴に耐える、
みたいな受動的努力はめちゃめちゃにできるのに、
我々、能動的努力をするってのはほとんどできていないのですね。

能動的努力ってのは、
今やらないと緊急で問題が生じるわけではないけど将来のためにやった方が有益な努力の事を言っています。

我々ってマジでこの能動的努力できてなくないっすか?

毎日が、受動的努力と、一時の快楽だけで終わってないですかね。

一時の快楽ってのは、ビール飲んでダラダラするとか、飲み会で仲間と誰かの愚痴を言い合うとか、エロサイト見てオナニーする、とかね。

毎日の生活の中に、いったいどれだけ能動的努力をしている割合ありますかね?

ほとんどの人はゼロだと思います。

で!!!!!!、
で、なんですけど!、
成功するためには、幸せになるためには、
努力が必要なわけですけど、

消極的努力ってのは、幸せ・成功にはつながらないわけですよ!!!

満員電車に耐え続けた先に何があるのでしょうか?

上司の愚痴に耐え続けた先に何があるのでしょうか?

何もないのです!!!

一方、能動的努力を続けた先には何がありますでしょうか。

人生の向上、精神的満足・幸福度の増大しかありませんね。

能動的努力ってのが、そのための努力ですから。

結論としては、
能動的努力をする事をすすめる、っていうありふれた感じの結論になります。

生活のスタイル自体をこれまでとガラッと変える事は難しいかもしれないけど、
これまで消極的努力しかしていなかった状況、
つまり、ただただ耐えるって事しかしていなかった状況において、
能動的努力を取り入れる、ってのはできると思うのですね。

例えば、
会社でやりたくもない仕事を振られた際に、
ただ我慢して処理するってのは、受動的努力であって、
得るものは特に無いわけですね。
ただ、時間を切り売りして、自分の時間を給料に変換しているに過ぎない。
これでは、人生向上しないし、幸福度や精神的満足度も向上しないのですね。

ただ、ここで、
取り組む業務内容としては同じなわけだけど、
何かしらその業務から得ようとする、その業務は自分にとってどういう意味があるのかを考える、
とか何でもいいから、
ただ耐えるんじゃなくて、
何かを得ようとする、何かしらを試行錯誤しようとするっていう能動的努力ができるようになったら、どうなっていくでしょうか。

ある程度の期間がたった後、
ただ耐える事しかしていない人と比べて、
圧倒的な実力を手にしている事は言うまでもないですな。

そして、
客観的な実力・結果だけではなく、
幸福度・精神的満足度ってのも、能動的努力をしている人の方が圧倒的に高くなる!!!

同じ仕事をやるときに、
嫌々、ただ言われたから、やらされている感で、面倒くさいと思いながら処理して実施する場合と、

主体的に、前のめりになって、より良いものにしようとする意識を持って、自分が楽しめるポイントを探す意識を持って実施した場合で、

明らかに、
後者の方が、
同じ仕事をやっていたとしても楽しく、満足できる時間を過ごせる事はわかりますでしょうか。

学生時代に文化祭をやるとして、
同じ出し物をする同じチームにいるAさんとBさんがいた場合に、
やらされている感でやっているAさんと、そのチームのリーダーとなって主体性を持って全体の段取りしているBさんでは、
やっている事としてはBさんの方が大変なんだけど、
精神的満足を得られるのもBさんなのですね。

ほとんどの人は消極的努力しかしていない。

逆に言うとほとんどの人は消極的努力はできる。

客観的な結果とか、得られる精神的満足度合いに差がつくのは、能動的努力をいかにできるか、って話です。

これ、ナンパ界隈でも消極的努力しかできなくなっている人を多く見かける。

思考停止して、毎回同じ事をただ耐えるがごとくに行っている人多くないですかね?

とにかく即日セックスする事が幸せなんだ、と思いこみ、
思考停止して、
ひたすらに街に出て、
ひたすらにただ声をかけ続ける。

ナンパで得られた経験やスキルをナンパ以外のプライベートや仕事に生かそうとする意識等は無く、
ただただ毎回毎回同じように思考停止して街に出て声をかける。

これ、思考停止状態で満員電車に乗ってる人と同じじゃないですかね。

その先に何か幸せあるんでしょうか。

ナンパ活動でも、
本当に精神的満足を得るためには、
能動的に、ナンパ活動を通して自分の人生を幸せなものにしていく意識が必要になる。

以上、老人の説教でした。

では。

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